http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110728ddm013040137000c.htm
掲載記事が時間切れ削除される可能性に配慮して、一部引用しつつまとめつつ感想を。
1990年、ロシアの有人宇宙船「ソユーズ」に乗り込み、日本人初の宇宙飛行をした、当時ジャーナリストの秋山さん。
95年にTBSを退職し、福島で1ヘクタールの土地を買って有機農業に従事されていたとのこと。
滝根では阿武隈山地の標高約600メートルの山里に1ヘクタールの土地を購入。シイタケの原木栽培をはじめ、コメや野菜づくりに取り組んでいた。16年目の今年は、田んぼの一部をレンゲ畑にして、ニホンミツバチを飼って、ハチミツの自給に挑もうと考えていた。そのさなかの東日本大震災だった。
「福島第1原発は運転開始から40年がたち、僕の計算では今年あたりから廃炉の作業が始まると思っていました。まあ、これが浅はかな考えだったわけですけどね」
原発から自宅までは約32キロ。震災翌日には、近くの体育館に、第1原発がある大熊町の住民が避難してきた。テレビは「空中からセシウム検出」と報じ、屋外に出ると、以前から持っていた放射線警報器が鳴り始めた。身の危険を感じた秋山さんは、郡山市の宿泊施設に避難、事故が長期化するのを見越して、鬼石町の知人宅に身を寄せた。
そう、福島第一原発は耐用年数を迎えており、廃炉が必要になる時期だったのだ。
そもそもリスクを抱えた状態であったことは論を待たない。
震災翌日は「とりあえず、念のための避難ですから」と説明されていた時期。
線量計を持っていたこと、長期化を予測したことは、先見の明があったとは言えるだろう。
「とりあえず」で強制避難させられた30キロ圏内の住民たちは、「想定外」の長期避難で苦しむことになる。(その原因が、東電&政府n説明不足にあることはいうまでもない)
「『経済成長がなければ、幸せになれない』という神話、いや、これはイデオロギーですよ。このイデオロギーから脱却しない限りは、今回のこの悲惨な事態の教訓を生かすことができないんじゃないでしょうか」
まさに同感。
パソコン、携帯、インターネットを手放す境地にはなかなか至らないけど、「幸せ」とか「生きる」ことの本質は他にある、と思っている。パソコン云々は、「便利な道具」に過ぎない。
だいたい、いくらカネ持ってても、食うものがなければ死ぬわけやん。空気がなかったら死ぬ。
確かに、大抵のものはカネで手に入る。でも、それは自分の代わりに誰かが作ってくれているものだ。
自分も他の人の代わりに何か作る。分業したものを交換する、カネはその媒体でしかない。
「農業や漁業など1次産業が軸にしているのは、暮らしですよ。利益や発展を必ずしも求めているわけではなくて、そこで暮らしを維持していけることが基本目標なんです。私もシイタケを栽培しながら、コメや野菜をつくって、それなりに食べていけていたわけです。ナスが一山いくらになったかに一喜一憂するのではなく、ナスがなったからただそれを食べるという暮らし。豊作の年もあれば、不作の年もある。株式会社が農業に参入するというけれど、それは利益が目的であり、そもそも1次産業に単年度決算なんてそぐわないわけです」
日本は、一次産業を軽視しすぎじゃないか?100%自給できていた米の生産量をわざわざ減反で減らし、余っているのにミニマムアクセスとか言って外国から輸入する。
「買えるからいいんだ」って、相手が売ってくれなくなったらどうするんだよ。
秋山さんは「自主避難」の身。つまり生活保障はない。今後どうするのか、戻れるのか。自分が生活できる程度には復興しても、農業ができて、生産物が売れるのか。
「政府が言うように『ただちに健康に影響を与えるような数値ではない』かもしれないけれど、人様に安全な食べ物です、と言って売れません。風評被害は政治不信そのもの。詳細なデータを公表することもなく、基準値以下ですと言われても、消費者が買わないのは、庶民の知恵ですよ」
信頼に足る情報を公開せず、結果として信頼されず、消費者が安全策を取れば「風評被害」と非難し、自分たちの責任は棚上げにしているのが東電と政府じゃないのだろうか。
福島の農民たちは、同様の無念を抱えているのではないだろうか。
「自分に何ができるか」考えれば考えるほど、無力感に苛まれる。